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◇●◇「包む」
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最近、とみに思うことがある。
人は、自分の目線によって、足りないものばかりに目を
向けてしまうことがある。
足りない、足りないと思っていると、なかなか 自分が恵まれて
いる場所にいることを理解できないものである。
どれほどの愛に囲まれ、どれほどの恵まれた環境におかれ、
どれほどの体験を積んだとしても
心が枯渇していては、それに気付けないものである。
枯渇する人、というのは、「今」を楽しんでいないものだ。
楽しむ、ということができないでいると、心からの喜びも生まれない。
反対に、恵まれている、素晴らしいものに囲まれている、
そこに気付いていると心はいつも至福で満たされる。
最近、 瞑想、という単語が身の周りでちょくちょく聴かれるのだ。
宇宙的な至福に満たされる、そのためにヨギは瞑想をし、
人々にも勧める。
心が至福に満たされると、
ありがとう、という言葉が自然に出てくる。
それぞれの人の存在が 愛おしく感じられてくる。
すべてのものと、人とを暖かく迎えて、すべて包んで生きる、
ということができたらどれほど幸せだろうか。
9月に、カリフォルニアのマウントシャスタへ伺った。
山は、全身全霊でそびえていた。
「私も、全身全霊で、山をやっています」
シャスタ山は、そういったように思った。
シャスタの山もすべてを包みこもうとしていたのだ。
癒し手、というのは「包む」ことができる存在なのだ、と改めて痛感した。
そしておそらく マウントシャスタは、全身全霊で、
自分がシャスタ山であることを楽しんでいるのだろう。
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