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「無題」
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このところ、「やさしさ」について、考えるのである。
本当に相手が望んでいるものを、空気や気配をよんで
提供できるようになったら、どれほどいいだろうか。
「あの人、やさしいよね。」
この言葉を期待して動くのなら、それはただのエゴである。
しかし、人間というのは、主観で生きている。
悲しいほど、愚かなほど、主観に振り回されて生きている。
「これだけのことをしてあげたのに」
見返りを求めて、誰かに親切にするのなら、それは
条件付きのやさしさである。
自分にとって、正しいと思うこと、あるいは思い込んでいることは、
相手にとって、必ずしも、必要なことではないかもしれない。
正しいと思い込んで走っている人を、そうじゃないのに、と思いながら
気づくまで見守ってあげるのも、やさしさかもしれない。
間違った方向でも、とことん突き詰めさせることも、
その人にとっては、大事な学びなのかもしれない。
そうやって転落したとしても、それはその人の学びであって
他人には関わりのないことかもしれない。
人は、時期がきたときに、初めて「気づき、分かる」のである。
人間の学びを邪魔するのは、
「傲慢さ」と「過度のエゴ」なのではないかと思う。
過度のエゴや傲慢さに覆われてしまった心には、
人のやさしさも、あだ花になってしまうこともある。
せっかく差し伸べられた手も、
ますます、エゴを増長させてしまうことになりかねない。
大事なものをなくしてしまったとき、
人は初めて、自分が愚かさに気づくのかもしれない。
ヒーラーの意識、とは、
過度のエゴを乗り越え、本当のやさしさに目覚めようとするときに、
やっと目をさますのかもしれない。
自分の中のエゴや傲慢さを乗り越えようとすることは、
永遠の学びであり、課題なのだと思う。
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